こんにちは。諭吉です。
ここ数日、投稿が出来ておらず、申し訳ございませんでした。
そんな中でもこのサイトに遊びに来てくださっている方々がいらっしゃってくれて、とても嬉しいですし、心強く思っております。
先日、日記でも記しましたとおり、祖父が逝去致しましたため、ここ数日は葬儀に参列したりとバタバタとしておりました。
私自身、実は先週末からちょうど体調も精神的にも不安定だったところに、祖父の知らせを受けたので、正直通常以上にダメージが大きかったですし、今も引きずってます。
でも、しっかり前を向いて、頑張ろうと思います。
ここに来てくださった方が元気になれるように、温かい気持ちになれるように、さらなる猫愛に溢れるように、記事をこれからも更新していきたいと思いますので、どうぞこれからも諭吉とうちのにゃんずたちを宜しくお願いいたします!
今日は、祖父の死に触れ、私が感じたことと、うちのしろくろくんの変な鳴き声についてお話します。
今日以降は、今まで通り、明るく記事を更新していきますので、楽しみにして頂けたら、と思います。
私が今1番心配しているかつ願っていることは、「祖父は今、幸せなのかどうか」ということです。
私自身、もう二度と祖父には会えない、祖父と同じ存在は二度と現れないのだという現実をまだ受け入れられておらず、その現実を目の当たりにする度に、ショックを受けています。
私の想いとしては、祖父にもっと長生きして欲しかったし、これからいろいろと孝行したいなと思っていた部分もありますから、当然寂しいし、悲しいです。
でも、おじいちゃんとしては、どうなんだろう?と思うわけです。
おじいちゃんも、私達孫や娘、息子達と触れ合うことができなくなり、もちろん寂しく、心残りもあるかもしれませんが、そういった負の感情だけなのかな?と。
祖父は、色々な病気を抱えていたので、この世で数10年連れ添った身体で生き続けることは、しんどいことも多かったかと思います。
だとすれば、重たい体をこの世に置き捨てて、あの世で魂だけで動けるようになった今、身も心も軽く、「ああ、病気もなく、老いもない状態ってこんなに身軽だったんだな」と、思っているかもしれないなあとも思うのです。
要するに何が言いたいかと言うと、今おじいちゃんが少しでも幸せなら、私が、悲しかろうと寂しかろうと、それでいいと思いたいのです。
残された側はやはり、悲しいです。
心に埋まらない隙間がぽっかり空いた感じです。
でも、おじいちゃんがあの世で幸せに、楽しく過ごせるのであれば、私はそれはそれで良かったなと思いたいし、思うべきだと思うのです。
ここ数年の祖父は、自身の趣味も楽しめず、人との交流も少なくなっていき、病気のために通院や入退院を繰り返していました。
この世で生きる良さもあったかもしれませんが、苦しさもあったはずです。
そこから解放されて、少しでも楽になったなって思ってくれているのなら、私は良かったと思います。
私が悲しいか寂しいかより、おじいちゃんが幸せかどうかに焦点をあてたいと思っています。
向こうで、ずっと飼ってきたわんちゃんたちに会えたかな?
美味しいご飯を食べられているのかな?
変わった種類の綺麗な鳥を見ているのかな?
暑くも寒くもなく、快適に過ごせているのかな?
先に空を渡っていった曾祖母や、祖父の兄弟と会えたかな?
とか、色々と思い浮かびますが、それらを全部満たしている幸せな世界に祖父がいることを願っています。
そして、祖父のことは、私があちらに行くまでは決して忘れません。
そうすることで、祖父はこの世でもあの世でも存在し続けられるんじゃないかなって思っています。
でも、本当に死後の世界なんて、あるんですかね?
まだまだこの世の中には、解明されていないことや、今の技術・知識では、説明出来ない現象があります。
なので、私は一概に死後の世界などない、魂や霊というものは存在しない、とは思っていません。
我々が解明できず知らないだけで、それらが普通に存在している可能性を現段階では否めないからです。
でも、不思議には思うんです。
心や魂って、本当にあるんだろうか?って。
だって、心や魂っていう概念を作り出したり、想像したりできるのは、脳があるからですよね?
悲しい、苦しい、楽しい、嬉しい、といわゆる心で感じると言われる感情を生み出しているのも脳です。
心の風邪なんていわれているうつだって、心や気持ちが病んでいてネガティブになっていると思われることが多いですが、脳内物質が大きく関わっています。
つまり、「心」と呼ばれるものは、脳から生まれているということ。
あの世も、その脳があるからこそ、想像し、後世に語り継ぐことが出来ているわけです。
ってことは、人間の身体を火にくべた時点で、脳が焼けて消失した時点で、あの世もこの世も、魂も心もなく、無になるのでは?と。
この世で良い行いをさせるため、悪行を減らすために、「功徳を積めば、極楽浄土にいけますよ」ということが言われているだけで、結局極楽浄土なんてないんじゃないの?と。
でもこの真相は、残念ながら自らの身をもって死ぬまでは分かりません。
もしくは、それを解明できるほどに医療や科学などが発達しなければ、わかりません。
私は、あの世があると、半分くらい信じています。
でも、半分は上記の通り、疑っています。
結局、極楽浄土って考え方とか、お空の星になって私たちのことを見てくれてる、とかって考え方は、死んだ人やこれから死ぬ人のためというよりかは、残された人のための思想なのかなって、思ったりもしています。
もう死んでしまったら何もわからないし、何もないです。って言ってしまうのは簡単ですが、残された側としては、やり場のない感情を抱えたまま暮らさざるをえなくなりますよね。
そうなると支障が出るため、「あの世にいって幸せに暮らしている」とか、「星になっていつも私たちのことを見ていてくれる、そばにいてくれる」といった思想が広まったんじゃないかなぁとも思うんですよね。
もし、本当にそうであったとしても、諭吉はそういう思想を半分くらいは信じておこうと思います。
それは、諭吉の気持ちを正常に保つためでもありますが、「死んだから無なんでしょ?もう何も残らないんでしょ?」って、祖父たちのこと簡単にを忘れてしまったり、無かったことにしてしまいたくないからです。
きっとあの世で幸せに暮らしているわ、きっと今度私があっちにいけば会えるわ、とあの世に行ってしまった人や動物たちの幸せを願い、彼らの存在を心に感じつつ、やがて訪れる自分の死をも受け入れたいと思います。
さて、長くなりましたが、話題を変えまして。
しろくろくんの鳴き声についてなのですが・・・
以前にもちらっとお話したことがあるかもしれませんが、うちのしろくろくんだけ、猫のように「にゃあ」と鳴けないのです。
「わおーん」または「めええぇ」、「わーお」等と鳴くのです。(笑)
それはまさに猫というよりは犬・・・(笑)
どんなに鳴かせてみても、にゃあとは言いません。
母が仕事に出かけた後、母を探しているのか、寂しいからなのか、しろくろくんは必ずあらゆる部屋を徘徊しながら鳴くのですが、その時も「にゃあ」ではなく、
「わおおおおぉん、わっおおおおおおん」と大声で遠吠えのように鳴いているのです。
小さい時に親とはぐれ、その後うちで保護されたために、親に鳴き方を教えてもらえなかったのかな?と思っていますが、うちのロシアンちゃんもおそらく2ヵ月か3ヶ月の頃には親元を離れているので、状況的にはしろくろくんと大して変わらないと思うんですよね。
ちなみにロシアンちゃんは、きれいににゃあ~と鳴きます。
これぞ猫!ってくらいのド定番の鳴き声です。
くろくんも、短めではありますが、「にゃっ」と小さく鳴きます。
しろくろくんだけ、「わっおおおおおおん」、「わーお」などと鳴きます。
不思議ですよね~
今度似たような経験をされた方がいらっしゃらないかリサーチしてみようと思います!
うちの猫も鳴き方や鳴き声が変!という方がいらっしゃいましたら、TwitterやInstagramで教えていただけると嬉しいです^^
ちなみに・・・
私は、しろくろくんを鳴かせるのが大好きです。
これだけ聞くと変でドS感がありますが・・・(笑)
しろくろくんの変な鳴き声が聞きたいから、という理由もあるのですが、しろくろくん、下の前歯の歯並びが1箇所だけ悪く、内側にズレているんですが、(ガチャ歯と呼んでます)それを見たさに鳴かせるんです(笑)
鳴かせると、口を開けて鳴くので、その瞬間にその小さな歯のガチャ歯感がしっかりと見えるのです。
それ見たさにしろくろくんの名前を呼んだり、お尻を触ったり(しろくろくんはお尻を触られるのが好きなおしりマニアで、触られると同時に「わー!」と鳴くんです)しています(笑)
その度に母や弟から、無理やり鳴かせるな!と怒られています(笑)
でも、こんな可愛い鳴き声や歯を持っていると、つい鳴かせて聞きたくなっちゃいますよね~
という、諭吉の徒然日記兼近況報告でした!
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
また明日から、楽しく役に立つお話を書いていけたらなと思っていますので、どうぞ宜しくお願いいたします!m(_ _)m