X’masはもうすぐそこに

【日記】祖父を偲んで。今、私に出来ること。

こんにちは。諭吉です。

このことを書くか非常に迷いましたが、自分の気持ちを整理するためにも、ずっと忘れないためにもここに記して残したいと思います。

お辛いこと・悲しいことが苦手な方は、今日はここでそっと閉じて、また明日以降遊びに来て頂けると嬉しいです。

その頃には、元気いっぱいの記事をお届けできたら、と思います。

 

 

祖父が昨日亡くなりました。

まだ70半ばでした。

私にとっては、唯一1人だけ残された最後の祖父でした。

祖父以外は、既にみんな空を渡っていってしまっていたのですが、祖父もついに渡っていってしまいました。

祖父は、色々な病気と今まで戦ってきましたが、結局なくなった理由はそれらの病気とは関係なく、心筋梗塞だったそうです。

最後くらい、苦しまずに逝って欲しいと思っていたので、苦しくなかったのならいいのですが、心筋梗塞って、苦しいですよね・・・

ただ、お坊さん曰く、苦しむとやはりどうしても顔に出てしまうらしいのですが、祖父は安らかな顔をしていたそうなので、きっと安らかに渡られたと思います、とのことだったようです。

向こうでいろんな人に会えて、楽しい思いをしてくれていたらいいなあと、それだけを今は願っています。

今回亡くなったのは、母方の祖父なのですが、父方の祖父は私が生まれた時に既に高齢だったため、長生きはしてくれたものの、私がまだ未成年の頃に亡くなりました。

そのため、おじいちゃん・おばあちゃん孝行と呼べるようなことが何一つできませんでした。

唯一残された祖父に、これから色々とおじいちゃん孝行をしたいと思っていた矢先のことでした。

私が大学に4年間通えたのも、祖父のおかげでした。

祖父が誇りに思えるような孫になりたい一心で、大学受験も頑張りましたし、就職活動も頑張りました。

おじいちゃんはいつも喜んでくれました。

本が好きな私に、小さい頃からいつも本を買うお小遣いをくれました。

もっと食べなさいと、いつもいつもご飯をたくさん食べさせてくれました。

きっと自分が戦後に育ち、食べ物に困ったからだったのだろうなあと、今になって思います。

今日、初めて告白しますが、

私は職場環境により、うつ病を発症し、半年ほど休職したものの、復帰は難しいとのことで、退職しました。

まだまだこれから頑張って働かなくてはならなかったのに、働けませんでした。

それをいつも私のことを思ってくれている祖父に伝えるのが、怖くて、申し訳なくて。

せっかく喜んでくれるような会社に入社できたのに、心と体を壊して、辞めたなんて。続けられなかった、耐えられなかったなんて。口が裂けても言えなかった。

がっかりさせたくなくて、でも嘘もつきたくないから、連絡を取ること自体を避けるようになってしまっていました。

それでも、誕生日や、敬老の日には必ず連絡をしていたのですが、今の自分の状況を悟られて、がっかりさせてしまうのが怖くて、それ以外で連絡を取ることや、あまり深い話をすることはできませんでした。

私は今それをすごくすごく後悔しています。

もっと連絡していれば、ちゃんと正直に伝えていれば・・・

今は自分を責めることしかできません。

そもそも会社に勤め続けられなかったこと、正直に話せなかったこと、連絡をなかなか密に取れなかったこと・・・

本当に本当に、後悔しています。申し訳なく思っています。

祖父は、大きな病気を抱えていることを医者に告知されてから、健康に気を使ったものだけを口にしていたそうです。

きっと、長生きしたかったのだと思います。

祖父は、大学受験をしていた私に、

「おじいちゃんは、お前の好きなようにしたらいいと思うし、応援もしてるけど、どっちかというと、結婚してほしいなぁ」

なんてことも言っていました。

結局、生きている間に結婚式に呼んであげることもできませんでした。

きっと、弟の就職や、成人式も見たかったのでしょう。

まだまだ、孫の成長を見届けたかったからこそ、長生きしたかったのでしょう。

結局私はおじいちゃんに何もしてあげられなかった。

私はこんなに良くしてもらったのに、私は何一つおじいちゃんの望むことをしてあげられなかった自分の不甲斐なさに心の底から嫌気がさしています。

祖父と面と向かって最後に話をしたのが、祖父が入院していた時に、お見舞いに通っていた頃だったと記憶しています。

当時私はまだ働いていて、不規則な勤務形態だったので(ここでは詳しく触れませんが)、仕事が終わった朝に電車に乗ってお見舞いにできる限りいっていました。

祖父は病院が退屈だったのか、訪れた時はいつも寝ていて、寝ているのを起こすのも悪いなあ、という気もしながら、おじいちゃん来たよ、と軽く呼びかけると、いつも起きてくれました。

早く仕事に行かな間に合わんやろ、と心配する祖父に、「ううん、もう仕事は終わったんよ。昨日の朝から、今朝まで働いてきたから、今から家に帰るところだよ」

そういうと、「えらい(しんどい)仕事をしとんやなぁ」と、心配そうにし、

勤務後の制服を自宅で洗うためにカバンに入れて持って帰ろうとしていたのを見て、

「きちんとアイロンをかけてな。ぴしっとせなあかんぞ」

そう言ってくれました。

いつも一生懸命で、仕事熱心で、鳥や犬が大好きで、私の誕生日にはセキセイインコをプレゼントしてくれたり、弟の誕生日には海外の珍しいカブトムシ(この頃ちょうどムシキングが流行っていた)を買ってきてくれたりと、私たちが動物好きになるきっかけを作ってくれたのも、祖父でした。

「最近あいつは連絡してこんなぁ」

祖父は母に言ったそうです。

母も、私が病気で寝たきりになっていることは祖父には言えず、

「ほんまぁ、あかんなあ。またちゃんと連絡するように怒っとくわな」と言ったそうです。

ごめんね、おじいちゃん。

もっと毎日のように連絡しておけばよかったね。

嘘をつくのも嫌で、私のこんな姿も見せたくなくて。

でもそんなの、死んじゃった後に後悔しても遅いよね。ごめんね・・・

一応亡くなる前にはちらっと、実は私が病気で会社を退職したこと、寝たきりにあったことを、母から祖父に伝えてはいたみたいなのですが、どこまで理解していたかはわからない、と。

昨日今日、悲しみにくれながら、後悔の念に苛まれながら、またここ数日も体調が悪く(これもここでは詳しくは語りませんが、実はうつは再発し、まだ治っていません)そんな私に何が出来るだろう、と色々と考えた結果、おじいちゃんに正直な気持ちを手紙に書くことにしました。

本当に死後の世界があるのかとか、魂とか、霊とか、そんなのあるのかわかりませんが、最後にきちんと言いたかったことを伝えておこうと。

そして、祖父は鳥が大好きだったので、鳥にまつわるものを何か作って棺に一緒に納めてあげようと、決めました。

以前、祖父が入院していた頃に、暇だったら困るだろうというのと、ぼけて欲しくないという思いから、鳥の図鑑をあげたことがあります。

趣味の鳥飼いもすべて知人に鳥を譲ってしまって辞めてしまい、ずっと暮らしてきた犬も亡くなって、大好きだった車の運転も、高齢だからと免許を自主返納してから、きっと祖父はすごく寂しくて、楽しいこともなかなかなかったと思います。

そんな祖父に、少しでも気分転換に、と鳥の図鑑なら読んでくれるかと思い、昔から新聞を読むのが日課だった祖父に、活字をまた読んでもらいつつ、脳を活性化して欲しいと思い、プレゼントしたのですが、これはおそらく燃えにくいので、棺には納められないと思うんです。

どうやら、棺にもおさめていいもの、だめなものがあるらしく、燃えないもの(1升瓶や陶器、ガラスなど)、溶けにくかったり骨に付着する可能性があるもの(メガネとか)、水分が多く大きいもの(スイカなどの果物)、分厚くてもえにくいもの(本や衣類、布団など)、お金、まだ生きている人の写真などはおさめてはダメなようです。

そこで私は、手紙と、ちょっとした鳥にまつわる手作りのものを納めてあげようと、決めたのです。

とはいえ、まだ何も準備できていません。

ここ数日、体調が悪かったので、明日病院に行くつもりです。そのついでに、なんとか頑張って材料を揃え、告別式までにそれを完成させたいと思います。

正直、今の私の体調では、できないかもしれません。

でも、諦めて後悔したくないです。

何もしてあげられなかったのだから、最後くらい、きちんとお別れを言って送り出してあげたい。

なので、頑張ります。

祖父を偲んで、作ります。

おじいちゃん、ごめんね。

そして、ありがとう。

ここ数日雨が続いていますが、告別式の日は晴れるといいね。

気持ちよく、空を渡っていけることを何よりも願っています。